金沢にハマるきっかけとなった04年

2017年10月3日

2004年2月9日~2月11日。

大学卒業を間近に迎え、就職前の羽根伸ばしとばかりに卒業旅行に出かけた、その最初の目的地が、金沢だった。

この時もまた、学生時代の思い出の地であるから、もう一度訪ねてみたい――程度の旅だった。実際、その後「長浜」「京都」「沖縄」と長い旅程が待っていたわけで、正直自分の中ではオープニングを飾る土地でしかなかった。

それが、まさか、この時の旅行をきっかけとして、その後何十回も訪れることになろうとは。当時の自分にはまるで想像もつかなかったことである。(ちなみに長浜も京都も沖縄も、この2004年以来、一度も旅行していない)

上の写真は、2004年当時の駅前。まだ未完成のもてなしドーム(翌年に完成)。

そもそもの始まりは、片町の旅館「村田屋旅館」で、「地元密着型のお店を教えてください」と尋ねたことだ。

自分の質問の仕方も非常にアバウトで、女将も困ったことと思われるが、しばし考え込んだ末、二つの店を紹介してくれた。

そのうちの一つが、以後、自分の人生を大きく変えることになった(金沢に引きずり込まれるきっかけとなった)インドカレー屋「パルパティ」である。

大体が、わざわざ金沢へ来て、インドカレーを食おうという神経が、いまの自分には理解出来ない。ちょっとお金を払えばいくらでも美味しい地元料理が食べられるのに――とは思うものの、その後十日以上も旅程が残っており、しかもまだ社会人になっていない自分だから、そういう発想は生まれなかったのだろう。

で、パルパティである。

当時の自分の衝撃をビジュアルで伝えたいと思い、パルパティの入っているオンボロビルの写真を探したのだけれど、残念なことに、見つからなかった。絶対一枚は撮っているはずなのだけど……ええい悔しい。

とにかく、「ひと目見た瞬間引き返そうと思った」のが、ファーストインプレッションである。

香林坊の109の裏手にある道沿いで、昼間はともかく、夜はどことなく薄暗い。そこに建っている築何十年かわからないボロいビル。迂闊に中に入れば、魑魅魍魎に捕まって二度と出てこれないのでは――そう思わせる摩訶不思議な気が漂っていて、「いくら紹介されたとはいっても他の店にしようか」と躊躇していたが、結局、意を決して階段を上り始めた。ちなみにビルについては誇張表現ではない。現に、その後他の人達にも紹介したところ、大半の人が自分と同じ印象を抱き、ためらったと語っていた。

が、外観の迫力とは裏腹に、中に入ってしまえば穏やかな空気が漂っていた。「これはアジアの空気だ」とわかった瞬間、一気にホッとしたものである。

そこから先のやり取りは、以下のような感じ。

「メニュー見せてください」

「一応あるけどねえ……(メニュー渡してくる)」

「このカレーありますか?」

「あー、ごめん。それ材料切れてる」

「じゃあ、このカレーありますか?」

「それも材料ないんだ」

……パタン(自分がメニュー閉じる音)

「じゃあ、今日は何ができますか?」

「肉のと、豆のとならできるよー」

「それミックスで」

 

生まれて初めて、日本の飲食店でここまでのアジアンな対応をされて、あの時は、驚くと同時に無性に楽しくなった記憶がある。

たぶん、肌に合わない人は、「こんなの飲食店ではない。飲食店ごっこだ!」と憤慨するのだろうが、そのあたり自分は適当なので、ノープロブレム。むしろ楽しくて仕方がなかった。(フォローすると、その後の長い付き合いでわかってきたが、店長は非常にカレー作りに対しては真摯で、勤勉で、真面目である。だから、実のところ、味は絶品である。ただ、大手チェーン系の店とは食事の提供スタイルが違うだけ。それだけの話)

 

最初は、他愛もない話をしていたと思う。その中で、特に印象に残っていたのが、泉鏡花の話をした時だ。自分はその頃は「化鳥」しか読んでいなくて、店長から「ぜひ他の作品も読むといいよ」と勧められたのであるが、その際に言われたのが「泉鏡花という人は実に美しい日本語を使う。そのことを味わうだけでもいい経験になる」というものだった。

その最初の出会いは、特に何と言うことなく、普通に終わったが――

 

「美しい日本語」。このフレーズが心の片隅に残っていたために、社会人になってから本格的に作家デビューを目指し始めた時、「あの面白い店長ともう一度話をしたい」と思い、そして三度金沢へ足を踏み入れることとなったのである。

 

まことに不思議な縁だと思う。ちょっとでも自分が違う行動を取っていれば、まずパルパティに行くことはなかった。そして店長と出会うこともなく、三度目に金沢を訪れるのはおそらく北陸新幹線が出来てから、となっていただろう。いまの自分とは全く違う自分になっていたかもしれない。

 

ともあれ、キリがないので、思い出話はこのあたりで。以降のことは、また次の機会にでも。

 

☆ ☆ ☆

 

ちなみに旅館の女将に紹介されたもう一店舗だが、残念なことに、場所と名前を失念した。写真を見ても店名がよくわからない。いまもあるのかどうか。片町のスクランブル交差点近くの雑居ビルの中だったとは思うが。

お造りが頬がとろけるほど美味しかったのと、「村田屋旅館の裏手にお姉ちゃんと飲める店がある」という情報をもらったことだけは憶えている。なお、いまだ、旅館の裏手の店には入ったことがない。

逢巳