三回目の金沢(2006年)

2017年10月3日

三回目に金沢を訪れたのがいつだったか、実はよく憶えていない。

パソコンに入っている写真を見る限りでは、どうも2006年10月8日~9日のようだ。一度、ハードディスクのデータが飛んだせいで、断片的にしか復元出来ていないが、それ以前に金沢観光している形跡は無い。

2004年はどうだったか。いまの会社に入り、それから長いこと苦しみ悩んでいた。もともと社会人になる気はあまり無かった人間が、ただ「そうしたほうが良さそうだから」という気分だけで就職した、その果てに「なんだこの変人は」的扱いを受け、それまで持っていたプライドも何もかもへし折られた。社会人一年目でヒイヒイ言ってる年だった。

2005年は? 「このままの人生はイヤだ」と思い、伊豆文学賞に投稿した年だ。それが人生で初めて仕上げた作品『蛇の姫』だった。四百字詰めの原稿用紙でたった五十枚ほどの短編であるが、印刷して出来上がったその原稿は、まるで宝石のような輝きを放っているように見えた。まあそれはどうでもいいが、部署が変わったばかりで仕事に慣れるのに四苦八苦しており、その最中に小説も書いていた、そんな自分が金沢へ行く余裕などなかっただろう。

しかも、伊豆文学賞投稿後、敬愛していた祖母が亡くなった。自分が作家になろうとしているのを身内で一番応援してくれている人だった。そして賞も落選した。

その果ての2006年。よく憶えていないが、たしか日々鬱屈していたと思う。次の伊豆文学賞に向けて、新しい作品を書きつつも、もう何のために生きているのかわけがわからなくなっていたはずだ。体も学生時代から比べて十キロ以上太り、もうどうしようもない状態だった。

 

――だから、やっぱり2006年10月に行ったのが、三回目の金沢だったのだろう。

 

二度目の伊豆文学賞用原稿『室奈屋の娘』も完成し、締切に合わせて送った直後だったと思う。

何か「軸」が欲しかった。

作品を誰に評価してもらえばいいのかわからない。誰にアドバイスを求めればいいのかわからない。誰も自分の味方にはなってくれない。作家という夢について、唯一の味方だと思っていた祖母はすでにこの世にいない。じゃあ、誰に……

『美しい日本語』

悩んでいた自分の脳裏に、本当に、その言葉はフッと蘇ってきた。

金沢のインドカレー屋パルパティの店長が、泉鏡花の作品を評したものだ。

「あの店長なら小説のことについてわかっているかもしれない」

そんな期待を胸に、このつまらない人生を変えてやるとばかりに、三回目の金沢へと足を運んだ。正直、パルパティがまだ店を続けているのかどうかも不安だったが、潰れているなら潰れているで、のんびり金沢の町を満喫して帰ろう、と思っていた。

夜、いつもの宿・村田屋旅館を出た自分は、記憶にある雑居ビルへと向かった。

二階へ上ると、パルパティの店内に明かりがついているのが見える。ちゃんとやっている。宿の女将に「あそこはいきなり休むことあるから」と教えられていたので、すごく不安ではあったが、無事開店していることにホッと胸を撫で下ろした。

「いらっしゃー……い?」

店長の、眼鏡の奥の目が、パチパチとまたたいた。(誰だっけこいつ)と言わんばかりに眺めてくる。

「憶えてますか。二年前に、一度寄っただけなんですけど」
「あー、それでか。どっかで見たことあるなあ、と思っとったんよ」

リップサービスかもしれないが、ちゃんと自分を迎え入れてくれてるその姿勢に、やや緊張していた自分の気持ちは一気にほぐれた。

そこから先は、何を話したのか。

たぶん文学論だったのだと思う。まだこの二度目の訪問時点でも、泉鏡花の作品を「化鳥」以外読んでいないという体たらくではあったが、そんなレベルの自分でも楽しく、わかりやすく、小説を書くということの素晴らしさについて語ってくれる店長と、時を忘れて話し込んだような記憶がある。

「ああ、会社勤めだけが人生じゃないんだ」

と胸に溜まっていた悩みが、一気に吹き飛ぶ心地だった。

この店に来れば、肯定してもらえる――いまでこそ会社生活のことを愛しく感じている自分としては「何を甘っちょろいことを」と思うような考え方ではあるが、でも、当時の自分としては、とにかく「君は間違っていない」と断言してくれる場が欲しくて――その場が、まさにパルパティだったのである。
(これは三回目の時ではなく、もっと後の時期に投げかけられたものであるが、「君はいまこの時点で、君という存在として、すでに完成されているんだよ」というエールを送ってもらったりと、とにかく自分にとって「行けば元気が出る」場所であるのは間違いなかった)

 

店を出る時、軽く興奮状態だった。来て良かった、と思えた。

 

だから、翌年1月には、また金沢を訪れた。

最初と二回目の間で丸々二年、二回目と三回目の間も二年のスパン。

それが、四回目は、まさかの「前回から三ヶ月後」。

 

こうして自分の「石川通い」は始まったのである――

2006年当時の金沢城からの眺め。21美が見える。

 

逢巳